多くの被災地で人手が必要です。 |
5月9日の石巻での現状
石巻ボランティアセンターの受付は、石巻市内より数キロ離れた石巻専修大学に設けられている。
これも大学の学期が始まるまでの対策で、大学の開校でボランティアセンターは別の場所に移動する、
ボランティア希望者はセンターの事務所に行き登録を済ませ、当日の作業場所を指示される。
この日、私(シガラキバスとして出なく個人として)は人数が集まるのを待ってボランティアセンター(ボートピープル)が用意したマイクロバスに乗って石巻の小学校に行く。
前もって仕度は、石巻ボランティアセンターのホームページから必要な物を確認して、それを用意はする、当日の昼食はコンビニでおむすびを買いリックに詰める。飲み水も忘れない。
ばらばらに集まった19名がバスに乗り、小学校に到着 その後3班に別れそれぞれ指示に従い作業を始める。
私の作業は清掃となる、
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以下写真集及び説明は個人の見解が入り込んでいます。 |
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石巻駅から石巻専修大学間の被災状況 |
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同じく被災状況、クレーン車が瓦礫と化した車を移動させている。
被災状況の瓦礫集積地はいくつも見られ、瓦礫の分別はされているようだ。
冷蔵庫、洗濯機などの白物家電、車、と木材、等々の分別を見ることが出来る。 |
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登録場所は石巻専修大学にある。(期間限定大学の開校と共にボランティアセンターは移動する) |
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大学の校舎に貼られている、掲示物 |
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同じくボランティア参加者の掲示物 |
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ピースボートなどのボランティア団体が用意したマイクロバス、
ボランティア登録場所から作業場所へこのマイクロバスに乗って移動する。
この日、渋滞で作業場所に指定された小学校まで多くの時間を要した、当面渋滞は続くようだ。
作業は午後四時には終了するように決められていると聞いたような気がする。
作業員の体力、健康を考えての事の様だ。 |
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当日決められた作業場所が石巻の小学校。この日小学生の授業は行われていた。
正面の建物は体育館で被災者の方々は体育館が避難場所となっている。
この小学校を含め一帯は背丈ほどの高さまで浸水している。 |
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避難場所の体育館に横付けされた自衛隊の炊事車。 |
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このあたりの被災住宅は津波の二次的増水により被害を受ける事となる。
津波被害状況をテレビからの映像によって私達は見ている、あのすさましい津波の勢いが多くの破壊で被災地を作ってしまった。
しかし、この周辺は津波の発生から大分時間が過ぎてからの増水による住居浸水被害を受けたようだ。
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路地の先は避難場所になっている小学校方面でこの地域は住宅街となっている。
不思議なのはこのあたりの全ての住宅は床上浸水の被害を受けているのに写真で見える住宅は普通に生活をされているようだ。
多分、外壁の浸水汚れは直ぐに洗う清掃と床上浸水の清掃をする事で普通の生活をされているのだろうか。 |
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桐の箪笥は嫁入り道具として揃えられた そう勝手に想像する。
ならば瓦礫として外に出されている事は切ないものを強く感ずる。 |
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住宅街の一角にあるこの住居は平屋建てで全ての家財が床上浸水によって使えなくなり、住む場所を失ってしまったようだ。
でも2階建ての住宅は2階部分が助かったので何とか生活をする事が出来たのだろう。
ガラス戸に浸水してつけられた汚れの跡がのこされている。 |
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被害を受けた車に石巻市による撤去確認書が貼られている。確認書はどのような意味があるのだろう。 |
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いずれも平屋建ての住居、どうにもなら無い無念さを感じさせられる。 |
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生垣に浸水した状況跡が残っている、およそ1m80cmほどの位置まで水が上がっている。 |
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同じく水位がガラスに跡として残る。 |
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石巻専修大学校庭はテント村と化している。
泊り込みでいろいろな方々がボランティア活動に参加されている。
白いテントの奥にある建物の中には救援物資が詰まれていた。
救援物資が満遍なく使われることは難しいようだ、どうしても過剰に集まってしまう。 |
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同じく校庭に設置されたテント村
いろいろ考えていて、テント村と化した光景と新宿などで見ることが出来るダンボール村とダブらせるものを感じた。
よく解釈すると
自然災害がテント村を形成させ
一方、ダンボール村は国策の貧困がそれを形成させている。
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テント内で寝起きする者と道路にはキャンピングカーで参加しているリッチな方がいる。
ボランティアって何ですか?
私は、石巻から家に戻りその事を考えていました、多分、大多数の参加者は趣味の範疇と捉えることが出来る。
その様な言い方は悪いかな、言い直すと自分の気持ちを満足させる行為、それがボランティア参加者か。 |
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キャンピングの延長線上にあるように思うのだが
当日ボランティアに参加されて作業を一緒にやられていた方は 本人の家も浸水に合い、大変なめにあっている。
でも家の被害がある程度めどが立ったことで、他の被災地に時間を提供している、頭が下がりました。 |
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石巻専修大学の周り、長閑な風景を見ることが出来る、ホッとさせられる。
田植えの風景はとっても素敵だ
数キロ先は被災地となっているのが悲しい |
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この小川は北上川に続いているようだ、この小川の水が田に取り入れられて田植え、夏を向かえ稲刈りと続く、稲刈りの時期に果たして瓦礫を取り除き復旧作業が何処まで進んでいるのだろう。
ましてや原発の処理はどうなっているのだろう、
ボランティア参加者の精神構造はともかく、長い時間お手伝いが必要と聞いている、私は何回でも行ける様にしたい。 |
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石巻専修大学の周辺に見られる花々
5月9日
藤沢周平の「海鳴り」ようやく読み終わることが出来た。5月17日 |
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石巻専修大学の周りには田んぼ、畑、そして住宅があります。その空き地に避難住宅のような建設現場を見ました。
水周りがどのように設置されるのかが現場からは分からない、もしかしたら校舎としての仮設建築かな。 |
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石巻専修大学構内にコンビニ店が毎日販売に来ているようだ。
主なお客様はテント村と化しているその住人
自らのコンビニ店舗は津波で被害を受け閉店状態のようで、そこで移動販売車を使っての営業をしている。 |
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石巻市内から女川に移動するとこのような惨状が現れる。 |
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同じく女川の手前での惨状。 |
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同じく
私は被災者の気持ちにはなれない、生まれた事はいつか死ぬ死刑宣告も背負わされていると思っている。
でも生きる間の運不運はある、感謝する気持ちが多ければ運がいい、手伝える側になれることも運がいい。
何時逆転するか分からない、その時にはよろしくお願いいたします。 |
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同じく
このような状況は復興作業によってどのようになるのか、見当もつかない。
政治家が政治家を批判、それを聞くのも飽き飽きしている。
批判する政治家さんあなたがやってみたらどうですか、復興を。
出来なきゃ腹を切れ、政治家はその覚悟を持て。
鳩山さんにはがっかりした、なんなんだありゃ。
児玉清さんの訃報を知る。 |
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あくまでもコメントは個人の感想です。
信楽ヌ樹 |
2011/5/18編集
2011/5/22編集
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